行政書士試験情報サイト
核軍縮



■軍縮の歴史

1、軍縮の歴史:軍縮の歴史は以下の図を参照。


■主な条約

1、PTBT(Partial Test Ban Treaty):PTBTは部分的核実験禁止条約(部分的核実験停止条約ともいう)といい、1963年にアメリカ、イギリス、ソ連との間で調印された核実験を制限する条約である。大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を制限するものだが、地下核実験については制限されていない

2、NPT(Nuclear Non-Proliferation Treaty):NPTは核拡散防止条約(核不拡散条約ともいう)といい、1968年に調印された。核兵器保有国はアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5カ国に限定している。この条約により、核保有国の非核保有国への核兵器や技術の供与を禁止することや、非核保有国が核保有国から核兵器の提供を受けることを禁止した。また、調印した国には国際原子力機関(IAEA)による査察を受ける義務が課されている(5カ国以外)。この条約は25年の期限付きだったが、1995年に無期限延長された。

3、SALTTとU(Strategic Arms Limitation Talks):SALTはアメリカとソ連の間の条約である。SALTTでは弾道弾迎撃ミサイル(ABM)や大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射ミサイル(SLBM)の数量の上限を定める合意がなされたが、その後、アメリカとソ連はともに多目的弾頭(MIRV)化を図ったため、これに制限を加えるべく、SALTUが調印された。しかしSALTUはソ連のアフガン侵攻などもあり批准されないままである。

4、INF全廃条約(Intermediate-range Nuclear Forces):INFとは中距離核戦力のことである。INF全廃条約はアメリカとソ連との間で、射程距離1000〜5500kmの核ミサイルとその発射台を3年間で廃棄することや、その査察方法について定めた条約である。この条約は核兵器の具体的な削減を取り決めた条約としては史上初である。

5、STARTTとU(Strategic Arms Reduction Talks):STARTもSALTと同じくアメリカとソ連(ロシア)の間の条約である。SALTは核兵器の数量の上限を定めただけであり上限までの数量増加や質的強化は許されるため、実質的な核軍縮とはいえない面もあった。そこで実際に現存する核兵器を削減するためにSTARTTが1991年調印された。ソ連崩壊後は、旧ソ連内の核配備国であるロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの4カ国がSTARTTを履行することを定めた議定書に署名した(全ての核はロシアに移送)。1993年にはさらに弾頭数を削減したSTARTUが調印された。

6、CTBT(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty):CTBTは包括的核実験禁止条約といい、1996年に国連により採択された。地下核実験を含めた核爆発を伴う全ての核実験を禁止する条約である。2004年現在、アメリカ、イラン、イスラエル、インド、パキスタンなどが未批准であるため、条約は成立したが発効はしていない状態である(ロシアは2000年5月に批准した)。

■日本の非核三原則

1、非核三原則:1967年、佐藤栄作首相は国会で、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を表明した。その後、この政策は我が国の国是として、歴代内閣によって堅持されている。

トップページへ メール 掲示板 リンク
行政書士試験情報サイトです。